【映画感想】泣ける?長い?親切設計と155分の体力勝負『鬼滅の刃 無限城編・壱』
鬼滅、見た? 私もみた。
泣いた? 笑った? それともトイレ走った?
155分、いや、ほぼ3時間の『無限城編・壱』は、感情も体力も膀胱も削ってくる映画でした。
本編レビュー:映像・構成・感情の三重奏

尺:愛か、拷問か(でも好き)
155分の長丁場。体感は「面白いんだけど膀胱が敵」。予告からいると3時間。
三部作の1発目だから“盛りだくさん”になるのはわかるんだけど、2時間半の壁はね、観客の体力テストでもある。
ただし内容的には「ここ切れないよな〜」の連続で、編集ハサミを持つ手が震えるのも理解。
結論:長い=愛情の重さ。でもトイレの神にも配慮してくれ。
『無限城編 第一章』155分という長編
- 公式な上映時間は155分(2時間35分)。Mugen Train(無限列車編)が119分(約1時間59分)だったのと比べても、かなり長め…Titanic(約3時間)には及ばないけど、近い迫力ある長さだね
- 長時間化の背景には、ストーリーへの深みと余裕がある。“ただの見栄え”じゃなく、キャラクターの心情や過去、戦いの重みを丁寧に描くための尺稼ぎでもあるとクリエイターサイドが語ってるよ
- 原作の章ごとの濃さを捨てたくない!――ファン的には「深掘りこそ正義」ってなるから、長いほど充実感があるのも一理あるね
- 視聴者レビューでも賛否あり。映像の迫力は圧巻で「最高すぎる!」という声が多数。だけどストーリー構成が時に重く感じさせて、“ダラついてる感”もあるという指摘もあるよ
尺の中の“深さ”と“しんどさ”のせめぎ合い
ファン兼視聴者マインドとしてはこんな感じかな:
- 「長いほど細部まで描かれてる!」→ キャラの心情や戦いの背景の描写、回想、演出ひとつひとつに高揚感がある…つまり“観たぞって感じ”になる。
- 「でも便意が襲ってくる」「飽きる瞬間がある」→ 特に155分って、トイレ問題とか体力・集中力の維持が大変っていうリアルな“しんどみ”も否めない
オタク的にちょっとシュールなとらえ方(=「尺=愛情」理論)
ねぇねぇ、「尺=愛情」とかいうオタク脳あるよね。作者や監督が「ここ、もっと見て〜!」っていう無言の情熱、どっしり映像に載せてぶつけてくる感じ…。でも、それを受け止める私たちはたまに「胃もたれ」起こしそうになるっていう、このギャップ…それ自体もなんかある意味芸術。
結論として
鬼滅映画に「長尺」は、“ファンの願望”と“制作のプライド”の両方からくる必然。でも正直なところ、長いの大歓迎!って人もいれば、「2時間くらいに抑えてほしい」って体力的リアル派もいる。この長さ、嫌いじゃないけど、次回はせめて…っていう気持ちもわかるよね。
最後には、「長けりゃいいってもんじゃない」ことも、でも「愛が詰まってる長尺はそれだけで尊い」っていう愛情混じりの毒ツッコミで締めるしかない…そんな気分!
炭治郎、心の中のアナウンサー問題
炭治郎の心の声=ほぼナレーション、いやもう実況解説席やん、ってなるよね。あれ、完全に「実況:竈門炭治郎」って注釈出てても違和感ないレベル。
戦闘中もずっと脳内テロップが流れてる。
「呼吸が浅い」「足が痺れてる」「でも進む!」みたいな実況。
これが“親切設計の補助輪”として効いてて、呼吸だの血鬼術だの複雑ルールが誰でもわかる。
冷静にそんな逐一リポートできる余裕あるんか?って話。リアルだったら「痛ッッ無理死ぬ」で終わるからな。
でも、あの解説口調があるから視聴者は戦闘のルールや敵の能力を理解できるんだよね。
鬼滅って、呼吸とか血鬼術とか設定が結構複雑だから、炭治郎が心の中で解説してくれないと、正直「なんか技光ったけど?」ってなる。
不親切こそ臨場感(進撃方式)
『進撃の巨人』めっちゃ好きなんだよね、あの爽快感と絶望感ね
それでちょっと思ったのがあっちは補助輪ぜんぶ外して、いきなり坂道をノーブレーキなんよね。
「誰死んだ?」「首どこ?」って混乱、てか最初から置いてけぼり。なんでこんなことになってんの?!から始まる
けど、その混乱こそが戦場の臨場感。
「このキャラ掘り下げあるんやろな〜」と思ったら即死亡。過去回想?そんな暇ない。「この世は残酷」でバッサリ処理。そうだったよ、それが戦場ってもんだよ
- 鬼滅=親切に泣かせる
- 進撃=突き放して残酷に見せる
情報処理と情緒の扱いが真逆なのが面白い。
情緒のさじ加減:ここ泣くとこですよ、の優しさ
鬼滅は泣き所の導線が丁寧。「はい、ここ泣いてね♡」と手取り足取り。制作側の涙腺リモコンで観客が一斉に泣ける、修学旅行並みの親切さ。
一方で進撃は「泣きたければ勝手に泣け、説明はしない」スタイル。だから逆に心がえぐられる。
この違いは完全に好みの問題で、**「親切に泣かされたいか」「不親切に突き放されたいか」**で分かれると思う。
今回の映画は“うるっと派”にはちょうど良い着地。映画館で嗚咽スタンバイするほどじゃないけど、目頭ストレッチには十分な仕上がり。
でも嗚咽してる人もおった。
体感ハイライト(ネタバレ配慮でフワッと)
水と炎の“生き物感”
ぶわっと広がる水と炎。
「水の呼吸」の波は物理的に正しい流れじゃないのに、まるで生き物がうねってるみたい。
「炎の呼吸」の火の粉もCGの粒子じゃなく、線画の熱がそのまま火力になって目に刺さる。
映像っていうより、加湿器と暖房を同時に浴びてるみたいな体感で、映画館の空気が湿度と熱気で満たされていく感じがした。
型の気持ちよさ/静→爆のコントラスト
型が決まる瞬間の「間」。
観客全員が「はい、ここで決めますよね」って分かってるのに、実際に見得を切られると鳥肌が立つ。
静寂から一気に爆音へ跳ね上がる演出も巧みで、鼓膜がジェットコースターに乗ってるみたい。
ただ派手にぶつけるだけじゃなく、“ため”があるからこそ爆発に説得力が出て、客席の心臓を一斉に持っていく。
ここが好き/ここはもうちょい
好き
- 手描きの熱量
エフェクトがCG任せじゃなく、線の一振り一振りに人間の呼吸が乗ってる。アニメーターの寿命を削った線画の積み重ねがそのまま刃になってた。 - 泣き所の導線
「はい、ここで泣いてください」の親切設計。情緒の地図が明確だから、映画館で“うるっと”を逃さずに済む。泣きシーンの演出としてはめちゃくちゃ丁寧。 - 見せ場密度
155分フルスロットル。無駄カットなし。どこで切っても絵になるし、BGMが刺さる瞬間も多い。観終わったあと「今日は大盛り定食完食した」みたいな充足感。
もうちょい
- 2時間20分圧縮案
正直、もうちょっと詰めても伝わる気はする。善逸戦後の鬼殺隊ごちゃごちゃパートは、トイレタイムに回してもいいかな…と膀胱目線で思った(笑)。 - 時々“画で語る”余白
炭治郎の脳内実況は分かりやすいけど、たまに画と音だけで語らせてもよかったかも。
無言のシーンで観客が呼吸を合わせる瞬間があれば、さらにメリハリが出たんじゃないかな。

今回賛否ある時間、次回は短くなるのかな

ならんだろ、呼吸の鍛錬と思え
観客体験ログ
「映画館 vs 膀胱」最終決戦 in 無限城
猗窩座の回想って「ここで泣け!」の最重要ポイントやん? 炭治郎の実況なしでも自然に泣ける数少ないシーン。なのに私はそこで立ち上がった。膀胱のせいで。
映画:はい、ここ泣けるよ〜!猗窩座の魂の回想!
あなたの膀胱:はい、ここ漏れるよ〜!耐久のクライマックス!
あかん、ここまで我慢したのに…!!ごめえええん!!って言ってるけど私もごめんんん!!!!
でもこれ映画館あるある。長尺作品で一番いいとこに尿意直撃するの、通過儀礼やろ。しかもさ、「我慢する」って決めた瞬間からもう映像に集中できんのよね。
じゃあどこで行きべき?
しかも今回は「トイレの隙間なし映画」。無限城は常時バトルBPM180、どこで抜けても損。
しいて言えば善逸戦後の鬼殺隊わちゃわちゃくらいが“膀胱的ベストタイミング”。でも切れ目がないのが鬼滅の凄さやんな。上映後のトイレ大行列すら“無限城一体感”になってたし。
ちなみに海外には『RunPee』っていう「ここで行け、何分、何見逃す」教えてくれるアプリあるんよ。鬼滅版ほしい。いやマジで。
猗窩座のペイントしてるガチ勢がいたよ…!
そして絶対目を合わせちゃいけない観客、猗窩座ペイントのガチ勢登場。顔じゅう青いライン、髪はピンク、完全に人間界に馴染まないスタイルで来場。まじかー
映画館に猗窩座フェイスペイントで現れるって、もう 「トイレ我慢できません」より「推し我慢できません」 の方が勝ってるやつやん。
周囲のオタクも「うわ…推しの怨念ガチ勢や…」って心の膀胱まで震えるわ。

じゃあ次回は黒死牟ペイントで行くかな!!

六眼来ちゃった!
まとめ:泣ける?長い? → どっちも正解
『鬼滅の刃 無限城編・壱』は、映像・構成・感情すべてがフルスロットル。
3時間拘束の長尺は「愛情の証」であり「観客の試練」でもあった。
泣きたい人には親切に泣かせてくれるし、映像美を浴びたい人にも満点。
ただし膀胱には不親切。トイレは自己責任。
結論:
「長さ=愛。でも愛にも休憩は必要」
……と言いつつ、結局私は2回観に行きました。
膀胱も涙腺も削られたけど、それ以上に心が燃やされたから。
次回ももちろん観る。

