【Netflix話題作】走る鉄と止まれない心『新幹線大爆破』感想と考察

「止まったら爆発する」
これ、新幹線の話じゃなくて、我々の生活の話では?
SNS、仕事、円安、プレッシャー、そして無言の空気読み…
この国は日々、精神的な“100km/h以上”を要求してくる。
Netflix『新幹線大爆破』は、そんな日本社会をまさかのVFXと特撮でぶん殴ってくる作品だった。
ということで、エンタメと社会と虚無にまみれた感想、語らせてもらいます。
新幹線が止まると爆発するって、それもう人生では?
Netflix版『新幹線大爆破』を観た。
感想を一言でいうなら「やかましくて最高」である。いや本当に、久々に”日本映画でここまでやるか感”を味わった。たぶん、撮影中に誰かが一度は「これハリウッドじゃないよな?」って確認してると思う。
だって、めちゃくちゃ面白いんだわこれ。
爆発するのは新幹線だけでいいのに、自分の情緒まで爆散させてくる。予算と執念と、草彅剛の真顔がすべてを焼き尽くしていくのだ。
【あらすじ】 走る新幹線と、止まりたい心
ストーリーは極めてシンプル、そしてわかりやすくて良い。
青森から東京へ向かう新幹線「はやぶさ60号」に、謎の爆弾魔から「時速100kmを下回ると爆発します」という爆弾が仕掛けられたという連絡が入る。
どうする?止まれない。速度落とせない。けど線路には停車駅、分岐、その他諸々の物理的制約が山積み。
この状況でどう乗務員たちは戦い、どう政府は(無能に)動き、犯人の要求する1000億円という謎の金額にどう向き合うのか――という、ド直球のパニック劇である。
ちなみにこの映画、1975年の伝説的邦画『新幹線大爆破』(主演:高倉健)のリブートであり、ある意味「スピード(1994)」の元ネタでもある。
時速100kmで走ることで爆発を回避する新幹線……って、それもう人生のメタファーでは?
主演は草彅剛。元アイドルでありながら、今や日本映画の「ヒューマン・感情・重たい・真面目担当」。彼が演じる車掌が、もう本当に真面目。真面目すぎて「逆に爆弾よりお前が怖い」と思う瞬間すらある。
隣にはのん。あののん。あまちゃんが爆弾列車を運転しているんだから、これが現代日本のカオス度の正体。
【見どころ】予算が火を吹いたVFXと俳優の情熱

新幹線に金かけすぎ問題
まず驚かされるのが、予算の使い方が完全に狂ってるという点である。
新幹線のミニチュアが1/6スケール。普通は1/25とかで済ますのに。どこのお坊ちゃまですか。
しかも、車内セットは実際の新幹線と同じ素材で2両分(約50m)をガチ再現。やりすぎだろ。なんの職人魂だ。
「実際に走る姿を撮りたい」と言って、専用の列車を7往復も走らせたらしい。普通は1~2往復で撮れ高を祈るレベルなのに、意味わからん情熱。
これはもはや“リアリティの呪い”と呼ぶべきで、監督の樋口真嗣(『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』)の特撮愛と業が燃え上がった結果である。
もう趣味と病気の境界線が消えてる。素晴らしい。
俳優たちの演技、濃すぎて密室
俳優陣の顔面と芝居の濃度もハンパない。
主演・草彅剛は、もはや「人間の良心が乗っている顔」
あの真面目で誠実な車掌、どんな爆発物にも動じなさそうな精神安定剤感。防犯ポスターのモデルになってても違和感ない。
運転士役ののんは、透明感と狂気のあいだでギリギリ走ってる。
彼女の目だけで新幹線が走ってる気がする。もはや霊力。
細田佳央太、斎藤工、尾野真千子、要潤、豊嶋花…とにかく全員クセと演技力が濃すぎて、車内が「芝居の密室テスト」の現場と化している。
乗客がだいたい役者として強すぎるんよ、誰か1人くらい下手でもいいのに、全員ガチで芝居してるから圧がすごい。これはもう芝居というよりバトルだよね。
ピエール瀧=Netflixの守護神説
そして忘れてはならないのが、ピエール瀧の存在。
Netflixとの癒着(言い方)が極まっており、出てきた瞬間「これはネトフリである」と我々は全力で安心する。
もう彼はサブスク映画界の守護。
こういうキャスティング、私は大好きである。
なぜなら日本映画に足りないのは「しつこさ」だと思っているからだ。執念と人脈と顔面力で押してほしい、映画は筋肉。
新幹線に感情移入させてくる監督、狂ってる
監督の樋口真嗣、最終的に新幹線に感情移入させようとしてくるから本当に怖い。
「傷ついた新幹線の姿を見せたかった」と言ってるが、普通そんなこと言わないよ。
でも言われてみれば、確かに“あの新幹線”がもうひとりの主役に見えてくるのが怖い。
これはつまり、監督があの鉄の塊を自分の息子のように扱ってるからである。
「走る魂」「鉄の意志」とか言い出してもたぶん誰も止められない。撮影現場も誰も止めなかったのだろう。きっと誰も言えない。正しい。
犯人パートだけ惜しいのは「演出バランス」かもしれない

全体の完成度が高いからこそ、ちょっと引っかかったのが犯人パートの描き方だ。
演技は文句なし。設定も「そりゃしんどいわ……」ってなる。でもその“悲しみ”に、観る側の感情が完全には乗り切れなかった。
背景描写がやや薄い。もう少しリアルな闇や、心のドス黒い部分に踏み込んでくれたら、グサッと刺さったかもしれない。
ちなみに犯人の正体、正直な話、割と最初から察せた。
いや、登場の仕方とか、妙にカメラが寄る演出とか、「あっ、そういうことね」ってなっちゃう感じ。ミステリーとしてのサプライズは、正直ゼロに近い。
でも、たぶんこれはワザとやってる。
これは“犯人探し”じゃなくて、“なぜその人がそこまでしたか”を描く物語なんだと思う。
サスペンスのスリルより、内面の悲しみと虚無を主題にしたかった。そのために、あえてわかりやすくしてるんだろう。
ただ問題は、「悲しい話」が世の中に増えすぎていること。
「可哀そうな人が爆弾を仕掛ける」のは、もう“あるある”になってしまった。だからこそ、観る側が無意識に“慣れ”てしまっていて、「またこのパターンね」と察してしまう。
演技がうまいからこそ、逆に虚無感がリアルすぎて、共感よりも無力感の方が残る。
同情はできる。でも感情移入はできない。
その絶妙に宙ぶらりんな感覚が、クライマックスの重さにも影響していて、少しだけふわっとした印象になる。
もしもうひと押し、“この世界の理不尽さ”や“壊れる寸前の魂”を描き切れていたら、もっと深く刺さったかもしれない。
惜しい。でも、惜しいからこそ忘れられない。
そんな複雑な後味が、逆にこの作品の余韻として残っている。
【感想】ただの爆破映画じゃない。現代の縮図だ。

この映画、最初は「ただのパニック映画かな」と思って観てた。でも進むにつれて、ただの爆破劇じゃないことに気づく。
この“止まれない新幹線”って、我々の社会のことじゃん。
SNS、仕事、経済、少子化、円安、全てが「止まったら死」な圧力をかけてくる現代。爆弾は爆薬じゃない、世間体とプレッシャーでできている。
「100km以下で爆発」とは、「まともな生活水準を下回ると自己崩壊」という我々のことだ。
さらに、群像劇の中に浮かび上がる現代日本の“顔”。
YouTuber議員に修学旅行生、意識高い系社長、JRのマニュアル至上主義、政治の空回り。これ全部、我々が生きているこの国の“断片”だ。
だからこそ、爆発しそうな列車の中でひたむきに働く草彅剛の姿に泣きそうになる。「自分は無力かもしれないけど、今ここにいる人は守る」――そんなヒーローがこの地味で死にかけた国にまだ存在するのかと、希望がわずかに灯る。
でも犯人の動機パートはちょっと甘い。背景説明が薄く、「はいはい可哀想だったのね」以上に感情移入できない。
1000億円要求するなら、もうちょっと“重み”が欲しい。10億でも騒ぐぞ私たちは。
「犯人の心情?そっちで勝手に補完しといてくれる?」感、ある
いや、わかるんです。人間ドラマも大事だし、爆弾を仕掛けたその人にも、それなりの理由や苦しみがある。
でもこの映画、多分そこに尺もリソースも割いてる余裕なかったんだと思う。なぜなら新幹線に全振りしてるから。
本作、完全にアクション映画、パニック映画のテンションでできてる。
つまり、「人の心の闇をねっとり掘るよりも、走ってる鉄の塊を汗と火花でぶん回すほうが優先順位が高い」。
犯人の描写が浅めなのも、「あとはお前らの脳内で保管してね★」っていう雑なようで潔い割り切りだと思う。
ていうか、あんなスケールの特撮とミニチュアと実写合成やってたら、そりゃ人間ドラマまで手回らん。
「人間?知らん!!新幹線見ろ!!!」って感じ。
編集会議で「爆発シーン5秒増やしたいんで、犯人の回想削っときます」ってなってても驚かない。
これぞ、「人間の闇より、鉄の美学」。
でもそれが良いのだ。掘り下げきれないなら、潔く切る。
そのぶん、鉄の塊が空を舞う美しさで感情を殴ってくる!
そう、それが映画ってやつだろ!!
【考察】犯人は「止まりたかった」のかもしれない

というわけで、補完してみました。勝手に。
なぜなら、あの“犯人”の空気感が、あまりにも「わかる」感じだったから。
いやさぁ……新幹線爆破してくる犯人の、わかる。わかるんだよ……(こめかみに指を当てて)。
まずね、あの犯人、最初からどこか「空気が薄い」感じしてたじゃん?
表情とかセリフとか、全部が“普通”っぽいのに、逆に「これは……闇、あるな……」っていう感情レーダーがビンビンに反応するやつ。
で、案の定だったわけです。
「爆弾仕掛けたの自分です」って言い出した瞬間、「ですよね!!!!」ってスタオベしたけど、同時に「やめてくれその告白」って気持ちもあった。
SNSの“誰か”が知識を与えた。でも、それだけじゃない
この事件には、もうひとつの裏筋がある。
かつて起きた“新幹線爆破事件”。本作が現代リブートであることを考えれば、この設定も決して偶然ではない。
今回の爆破に関与したとされるある人物が、過去の事件と関わりがあった人間――つまり“あのときの関係者”という情報。
そして、その人物がSNSを通じて、今回の犯人に爆弾の知識や手段を伝えた
警察はこう語る。
「この犯人は利用されていたのでは?」
「過去の恨みを果たすための駒だったのでは?」
でも、それは外から見た都合のいい物語だと思う。
確かに、過去の事件の因縁が何らかの形で再び火を噴いた、という構図はドラマとしては映える。
けれど、それはあくまで外側からの見え方であって、内側ではまったく別の感情と衝動が働いていたように感じる。
SNSで繋がったその“関係者”は、おそらく本当に同情していた。
共鳴していた。自分が背負った過去の傷と、今回の犯人が抱えていた痛み――それがどこかで響き合ってしまったのだと思う。
そして、
実行に踏み切ったのは、犯人自身の選択だった。
「やれ」と言われたからやったのではない。
憎しみや虚無の渦中にあったとしても、自分で走ってしまった。
もしそこに“利用された悲劇の存在”としての解釈をあてがうなら、それはこの映画が描こうとした「主体の悲しさ」から目を逸らすことになると思う。
「この世界にいなきゃいけない理由」がなかった
犯人は、ただ「この世界にいたくない」んじゃなくて、「この世界の中で、いなきゃいけない理由が見つからなかった」んだと思うんだよ。
誰にも言えなかった。
周囲はちょっと気づいてたかもしれないけど、「普通でいてくれた方が楽」って思って、そこまで踏み込めなかった。
そして本人も、「普通」でいようと必死だった。
それが唯一の生存戦略だった。
でも心の奥では「誰かに見つけてほしかった」
助けてって言えないけど、助けてほしかった。
でも、頼り方がわからない。
甘えることができない。頼ったら崩れるから、絶対に崩れないようにしてた。
だからこそ爆弾を作って仕掛けたのは、「この嘘みたいな日常を全部壊したかった」んだと思う。
毎日笑って、電車乗って、誰にも本音を言えずに過ごしてるその毎日こそが、犯人にとって「止まったら爆発する」新幹線だったんだよ。
でも、自分では止まれなかった
周囲もさ、
「もしももっとちゃんと声かけてたら」とか、後からいくらでも言えるけど、現実ってそんなドラマチックじゃない。
ちゃんと生活してくれてるなら、無理に掘り返さない方がいいって思っちゃうし
だからもう、あれは誰にも止められなかったんだよね。
本人すら、自分を止められなかったのだから。
最後のぼやき:斎藤工にもってかれたわ
犯人は“悪人”じゃなかった。
ただ、世界に置いてかれて、心が爆発したんだよなぁ……。
こういう話に弱い。メンタル、そっ閉じしたくなるけど開き直る。
もちろん、犯罪は犯罪。やったことは許されない。
でも、この映画はその人の中にある“ぶっ壊したくなるどうしようもなさ”を、真正面から描こうとしていた。
草彅君も素晴らしかった。
あの誠実さ、あの静かな強さ。もはや「人間の形をした安心装置」。
新幹線に乗ってるのが草彅剛でなかったら、我々のメンタルはとっくに脱線してた。
彼が「大丈夫です」って言うと、本当に「はぁ大丈夫なんだ……!(*´Д`)」って思えちゃうんだよ。
もはや車掌じゃなくて、情緒の添乗員。
でもじつは正直、
斎藤工に全部持ってかれましたわ。
指令室のあの目よ。あの熱よ。あの「俺たちは今」感。
なんで指揮してるだけの人があんなにかっこいいの??どう考えてもボスキャラなのに味方なの????
冷静に見えて、情熱が漏れ出てる指令官ズルくない???(好き)
とにかく、これはただのパニック映画じゃない。
「止まったら爆発する」社会を走る全人類の物語だった。
爆弾は爆薬じゃない。
プレッシャー、孤独、空気を読む力、そして“止まりたいのに止まれない心”が、爆発物だったのだ。
新幹線が止まったら爆発する?
いやもうそれ、人生だよね!!て話
いや、ごめん、きれいにシメようとしたな、、、
個人的には
もはや工が一番爆弾だった。色気で。