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平安時代にもクソ男はいた!『とりかえ・ばや』の愛と裏切り、衝撃の結末とは?

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平安時代の宮廷で、性別を偽って生きる姉弟が織りなす数奇な運命――さいとうちほ先生の『とりかえ・ばや』は、恋愛も陰謀も、そしてドロドロな人間模様も詰まった一大ドラマです。

平安時代を舞台にしているとはいえ、不倫もあれば、禁断の恋やジェンダーの葛藤も登場。今で言うBLや、「この展開、現代の昼ドラか?」とツッコミたくなるようなネタも満載で、思わず吹き出しちゃうシーンもたっぷり!

平安絵巻の華やかさと共に、彼らの物語がどんな結末を迎えるのか、じっくり味わってみませんか?

rico
rico

特に問題児・石蕗のクズっぷりは必見!

こんな人におすすめです!
  • 平安時代や歴史物が好きな人
  • 男女逆転・性別を偽る設定が気になる人
  • 波乱万丈なドラマや恋愛模様が好きな人
  • 『少女革命ウテナ』が好きな人

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性別を越えた運命の物語『とりかえ・ばや』

『平安時代に性別を入れ替えた姉弟が宮廷で生き抜く物語』と聞くと、古典文学『とりかへばや物語』に基づいた、ちょっとお堅い物語を想像するかもしれません。

が、この漫画『とりかえ・ばや』、意外や意外、かなりのドラマとスリル満載の少女漫画です。まるで宮廷版『華麗なる一族』。恋愛も、権力争いも、逆境に向かう勇気も全部入りで、「平安時代にもこんなに波乱万丈な人生が?」と驚かされっぱなしです。

【あらすじ】平安の宮廷に巻き起こる、性別を偽る姉弟の数奇な運命

物語の舞台は平安時代、権大納言・藤原丸光には、東西の奥方との間に「沙羅双樹の姫君」と「睡蓮の若君」という美しい姉弟がいます。

しかしこの二人、見た目はともかく性格は正反対。

姉の沙羅は男勝りで武芸に夢中、弟の睡蓮はおっとりした性格で、女性的な遊びを好むインドア派。
宮廷からの召し出しがかかり、権大納言は彼らに性別を偽らせて宮中に送り出すことに…。

こうして「女性として生きる男性」と「男性として生きる女性」の人生が始まります。
真実を隠しながらも、それぞれの生き方を選ぶための激動の物語が、ここからスタートするのです。

【作者】さいとうちほ先生の魅力と代表作

少女漫画界の巨匠、さいとうちほ先生。彼女は繊細な作画と大胆なストーリーテリングで読者を魅了し続けてきた作家です!

代表作には、『少女革命ウテナ』があります。『ウテナ』は、少女漫画の枠を超え、ジェンダーやアイデンティティ、権力構造といったテーマに切り込み、幾原邦彦監督によるアニメでも大ヒットを記録しました。ウテナの王子様像を巡る物語は、今でも熱烈なファンに語り継がれ、時代を超えて愛される名作です。

その他にも、強く美しい恋愛模様を描いた『円舞曲は白いドレスで』や、竹取物語を大胆にアレンジした『輝夜伝』、そして平安時代の宮廷を舞台にしながら性別を偽る姉弟の葛藤を描いた『とりかえ・ばや』など、名作ぞろいのラインナップ。

さいとう先生の作品は、歴史や古典文学に現代的なエッセンスを加え、時代やテーマにとらわれず、様々な角度から「自分らしさ」を追求するキャラクターたちが登場します。

緻密な時代描写と共に、恋愛や友情、家族の絆といった普遍的なテーマが丁寧に描かれ、キャラクターたちの生き生きとした成長を見守ることで、読者は物語の世界に深く引き込まれていきます。

少女漫画でありながら、その枠を超えて様々な層に感動を与える名作を生み出してきた、まさに「少女漫画の巨匠」と呼ぶにふさわしい作家です。

キャラが彩る波乱の宮廷生活!『とりかえ・ばや』の魅力

【登場人物】キャラが濃すぎる平安宮廷ファミリー

沙羅(沙羅双樹の姫君)

男勝りで武術に秀でた女性で、男性として宮廷に仕えることに。彼女の強さと誇り高さが物語を引き締め、いざという時には命を賭してまで愛する者を守ろうとする姿がかっこいい。

睡蓮(睡蓮の若君)

おっとりしていて女性らしい遊びや文化を好む性格。沙羅とは対照的に繊細な心を持ち、周囲の目を気にしつつも自分の感情に素直で優しい。

帝(主人公を支える強い味方)

威厳ある帝として宮廷を治め、優れた知性と包容力を持ち合わせた理想的なリーダー。
彼が持つ寛大さと気品は、沙羅の生き方や心に影響を与え、彼女が葛藤しながらも成長するきっかけとなる存在。

吉野の宮

出家した元皇子で、過去に様々な因縁を抱え、物語全体に謎と深みを与えるキャラクター。彼の存在が平安宮廷の陰謀や秘密に彩りを添え、物語をより複雑かつ重厚にしています。

石蕗(つわぶき)

宮中のプレイボーイで、女たらしの男。恋愛遍歴が複雑すぎるがゆえに、時折ヘイトを集めつつも、どこか憎めないキャラクターです。

【見どころ】性別逆転劇のスリルと人間模様

  • 性別がばれる恐怖
  • 華やかで雅な平安宮廷
  • 睡蓮と女東宮の切ない思い
  • 恋愛と友情が入り乱れる複雑な人間模様

性別がバレる恐怖、張り詰めた宮廷生活

沙羅が「藤原月光」として帝の近くに仕え、睡蓮が「藤原涼子」として女御たちと日々を共にする中で、彼らの秘密がどこまで守れるのかが見どころ。

特に、沙羅が妃や宮廷の権力者たちから注目を浴びる場面では、物語の緊張感が一気に高まり、「バレたらどうなる!?」というハラハラが読者を飽きさせません。

華やかな平安宮廷の再現と美麗な作画

大きな魅力!それは何と言っても美麗な作画です!!

さいとうちほ先生の描く、平安宮廷の世界は息を飲むほど美しく、そして華やかです。公家たちがまとった豪華な着物や、宮中の装飾の緻密な描写が、まるで平安絵巻を見ているかのよう。背景の細部に至るまで、平安時代の雅やかな雰囲気が再現されており、読者をタイムスリップさせる力があります。

特に印象的なのが、和歌や四季の花々といった日本独自の美意識が織り込まれていることです。
この時代の恋愛や日常に登場する「奥ゆかしい気持ちを込めた一首」が、物語の切ない場面や美しい場面を一層引き立て、作品全体に雅な風情を添えています。

沙羅と帝が心を通わせるシーンや、睡蓮と女東宮が密やかな会話を交わす場面では、背景に咲き誇る桜や紅葉が描かれ、二人の恋心を静かに包み込むような美しさがあるんです。

rico
rico

ため息が出るほど美しいです!私もこんな雅な世界に浸りたい…殿方と文を交わしたい!!

弟子
弟子

現代でDMにさえ返事しないくせに何言ってんの?笑

平安宮廷のタブー、睡蓮と女東宮の切ない想い

睡蓮は次第に女東宮(帝の姪)と距離を縮め、淡い恋心を抱くようになりますが、それは平安宮廷の中では許されざる禁断の関係。性別を偽り続けてきた彼の恋は、秘密を守りながらも相手への想いを募らせる、切なくも複雑なものです。

一方、姉の沙羅もまた、帝に対して特別な感情を抱くようになるものの、自分が背負う秘密のために、素直に心を開けずにいます。

現代の視点で見ると「なんでそんな回りくどい…!」と感じる関係性も、複雑なしがらみとタブーに絡む宮廷社会だからこそ、ひときわ痛切な切なさが漂います

恋愛と友情が入り乱れる複雑な人間関係

そしてこの作品の特徴は、友情や義理、さらには「誤解」や「すれ違い」が、宮廷の恋愛模様に深みを与えているところ。

沙羅は男性として帝の側近を務める立場でありながら、次第に彼に惹かれてしまうんですが、この「自分の正体を明かせない」というジレンマが、恋愛に隠された悲しみを一層深めているんです。

同時に「本当の自分に戻れないこと」へのもどかしさも募っていく。彼らが宮廷の重圧と自分の気持ちとの狭間で苦悩する姿に、思わず心をぎゅっと掴まれます。

また、沙羅が異性として帝に惹かれていくことに対するアンビバレントな感情も見どころ。彼女にとって帝は、「主君」としても「憧れの男性」としても重要な存在ですが、自分が女性であることを隠し続けなければならない現実に、彼女はどれほど苦しんだことか。

ここに「偽りの自分」と「本当の自分」がぶつかり合い、彼女の恋愛がただの甘いものではなく、辛くも苦しい試練になっていくんですね。

【結末】真実が明らかになった時、二人が選んだ道とは

物語のクライマックスでは、沙羅と睡蓮が揃って帝の前に立ち、ついに二人が性別を偽っていた事実が露見することになります。

この瞬間、長い間隠し通してきた秘密が暴かれるわけですが、意外にも帝はそのすべてを受け入れ、沙羅を「女性」として愛し、結ばれる道を選ぶのです。

そして、睡蓮も心から愛する女東宮と結ばれることで、自らの性に忠実に生きられる喜びを手に入れます。

この結末は、宮廷というしがらみだらけの世界の中で、彼らが「本当の自分」として愛され、認められることを意味しており、まさに魂が解放されるような爽快感があります。

姉弟が「ありのままの自分」を取り戻し、それを周囲に受け入れられる形で物語が完結することで、長年にわたる葛藤が報われ、読者も共に達成感と幸福感を味わえます。

平安宮廷に再び平穏が戻るなかで、彼らが自分らしく生きられる未来を掴むという、心温まるハッピーエンドです。

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【感想】平安版ジェンダーレス!運命に抗う姉弟の“ありのまま”成長譚

性別を超えた「自分らしさ」に到達する姉弟の姿に感動!

『とりかえ・ばや』を読み終えた時、何とも言えない解放感と、心からの満足感が押し寄せてきました。
すべてが綺麗にまとまって、登場人物たちの運命もそれぞれの形で完結。読後感は最高で、「ああ、良い物語を読んだな」と心から思える作品でした。

沙羅と睡蓮が最後にたどり着いたのは、自分の性別や身分に縛られない「本来の自分で生きる」という道です。
平安時代にも今と変わらない愛や悩みがあったと知ると、古典も案外身近に感じられますし、「自分らしく生きる」ことの大切さを強く感じます。

沙羅は、宮廷で男性として生きる過酷な状況に身を置きながらも、自分の気持ちを貫いて帝と結ばれるという幸せを手に入れます。その過程で彼女が感じたであろう葛藤や、周囲に本当の自分を隠し続けることへの悲しみが、最終的には彼女が「女性としての自分」を認められる瞬間で解消されるんです。
沙羅が初めて本当の自分であることを許され、愛されるという展開には、読者としても胸がいっぱいになりました。

一方で睡蓮も、ずっと女性として生きてきた立場から、自らの「男としての生き方」を見つけていきます。彼が女東宮に抱く思いは、禁断の恋愛でありながらも、どこか純粋で切ない。
それでも最終的には彼もまた、女性としての自分から解放され、「男として愛する人を守る」という道を選びます。
沙羅とはまた違った形で「自分らしく生きる」ことを見つけた睡蓮の姿も、とても感動的です。

吉野の宮の存在 – 平安時代の影の男が見せる大人の包容力

そして、やっぱりオヤジ好きとして外せないのが吉野の宮!!

このキャラの渋さと頼りがい、さらに過去に抱えた悲しみや秘密…オヤジクラスタに刺さりまくるんですよ。

かつて禁断の恋に身を焦がし、出家を余儀なくされたという過去を背負った彼。
もうその設定だけで一気にドラマ感マシマシだし、沙羅や睡蓮に対する包容力とか理解力が深すぎて泣ける。

でも彼はただの「かっこいい僧侶キャラ」じゃ終わらないんです。「過去を知る者」として物語全体にじんわり影を落としてくれるんですよ。

女東宮に対しても特別な感情を抱いているのが見え隠れして、守ろうとする姿勢がまた最高。禁断の恋に身を捧げた僧侶の未練と後悔、じわじわ滲み出る苦しみとかたまりませんよね!!

平安時代って、もうこういう“禁断の愛”とか“秘密を抱え続ける”みたいな美学がデフォルトだったんじゃないかと思わせるくらい、吉野の宮が見事にその雰囲気を体現してくれてるんですよ。

彼の一言一言に重みがあって、読んでると「過去の恋物語を、もっと詳細に書いて!スピンオフで!」って叫びたくなるの、私だけじゃないはず!

rico
rico

吉野の宮が女東宮のパパ説、推すんだけどどうかなぁ?

隊長
隊長

明言はされてないけど、それは重いなー…でも、だからこそあの見守りも分かる気がするよね

石蕗がクソすぎて辛い!『とりかえ・ばや』に見る、最凶の困ったちゃん!!

さて、ここからは思いの丈を遠慮なくぶちまけさせていただきます

『とりかえ・ばや』を読み進めるうちに、こみ上げてくるのがこの感情。
「石蕗(つわぶき)、こいつ何やねん……!」

この男が出てくるたびに、物語が別の意味でスリリングになっていくんですよ!
ついに少女漫画史に残るクソキャラが降臨かもしれない(!)だからこそ『とりかえ・ばや』を語るなら、石蕗のクズっぷりは避けて通れません。

まず友人の妻に手を出す、その図々しさよ!

石蕗は最初、宮中のプレイボーイ、文字通りの「モテ男」として登場します。
眉目秀麗で、武芸に優れ、女房たちからの人気も上々。まあ、ここまでなら「王朝ラブコメあるあるのチャラ男」として片づけて終わるところ。

しかし、彼のやらかしは、親友の沙羅(沙羅双樹の君)と四の姫が結婚した瞬間から始まります。そう、沙羅の妻・四の姫にも手を出してしまうのです!

しかも、ですよ?沙羅の男らしい容姿と性格に惚れ、親友付き合いをしていたはずの石蕗。ある日、ふと「沙羅は女性ではないか?」と疑い始めると、性別を気にせず迫ってしまう。

挙句、泣き崩れる沙羅をそのまま手籠めにしてしまう始末!
つまり、こいつは女性と分かれば友人であろうと問答無用で抱けるタイプなんですよ。

ゲスというよりも、動物的すぎるこの行動原理、尊敬の気持ちすら湧いてきませんかね!?

「こっちもつらい」とか言ってどの口が言う?

沙羅がブチキレてあれこれ悩んでいるなかで、石蕗は何をしているか?

何と、彼女の存在を一途に(?)想い続けるという、「身勝手な執着プレイ」に走るんですよ!

いやお前が傷つけた張本人だろうが!と心の中でツッコまずにはいられない。正直、「もはやヤンデレ属性もここまでいけば芸術か?」とすら思います。

そのうえ、この人は四の姫とも関係を続け、妊娠させるというダメ押し!!

いやいや、自分の都合よく解釈しないでくれ。沙羅の心がボロボロで、出家を考えるレベルなのを知ってるのかと問い詰めたくなるんですよね、マジで。

しかも、ここでシレッと「俺は沙羅を本気で愛してる!」と口にする、その厚顔無恥さ。

どうですか、皆さん、こんな清々しいまでの無神経野郎。ハイナーぶりに心底イラつきですわよ!!

「なんで無傷で生き残るの?!」ラストまでしぶとい生命力

石蕗に対して読者としては、「いっそ最後に思い切り天罰下れ!」と期待するわけです。

浮気しても、妻や友人を傷つけても、最後には誰かが成敗してくれる……という展開、誰だって待ってるじゃないですか。
が、ですよ?ラストでは彼、しれっと生き残るんですよ!しかも、出世して。

それどころか、なんだかんだで沙羅や周囲の人々からも何となく許されちゃうんです。最終的に、この彼の無神経さと人たらしぶりに周りが「まあ、あいつってそういう奴だしな」で済ませてしまうという、衝撃的なラストに思わず脱帽しましたよね。

石蕗は性悪ってわけじゃなく、どちらかといえば「純粋に突っ走りすぎた結果が大惨事になる困ったちゃん」。

まるで勢いだけで人生を渡り歩いてるようなもんで、彼のキャラがいるからこそ、この作品の人間関係が一層カオスってるんですよね笑

そんな風に感心するのもなんか悔しいんだけど、さすが「一発必中!」な精力を誇るだけあって、堂々たるクソ男ぶりに、逆に感嘆してしまう。

「やりおおせた男」石蕗

『とりかえ・ばや』の物語自体は、性別を超えて「自分らしく生きる」というテーマが美しくて感動的な作品なんですよ。

でも、その中で石蕗があれだけアグレッシブに突っ走るもんだから、「そうか、これがあいつの“らしさ”なんだなぁ」と妙に納得しちゃうんですよね。

『よくぞここまでなりおおせた!』と、ある意味見事なクソ男だと納得させられるわけです。

そういう意味では本当に美味しいキャラです。だからこそ『とりかえ・ばや』を読んだ際には、ぜひ「こんな奴もいるのか」と大いに苛立ち、心の中でディスりまくってみてください笑

ウテナと沙羅の比較 – 「自分らしく生きる」ヒロインたち

『少女革命ウテナ』と『とりかえ・ばや』

同じ作者・さいとうちほ先生によるこの二つの作品には、それぞれ強烈な個性を持つ主人公が登場します。

一見違う世界観を持つ二人ですが、どちらも「性別や社会の役割からの解放」をテーマにしながら、それぞれの道を模索している点が共通しています。

しかし、二人の歩む道には大きな違いがあり、そのギャップこそが物語を一層面白くしているんです。

ウテナと沙羅が追いかける「王子様」の違い

ウテナにとって、王子様は「救いの象徴」。幼い頃に出会った王子様を理想として掲げ、自分も「王子のように強くありたい」と願うことで成長していきます。

しかし、最終的には「誰かに守られる存在でいるのではなく、自分が守る側に立つ」ことを決意するんですよね。彼女は“王子になりたい少女”として、戦いを通して自立を目指します。

一方、沙羅はどうかというと、「自分が王子の役割を演じざるを得ない」という状況に放り込まれ、男性として宮廷で生きることを強いられます。

沙羅の「王子」という立場は彼女にとって自由を奪う檻のようなもの。最終的には「本来の自分=女性」としての幸福を得ることで、社会的な枠を越えて自由を手に入れるんです。

つまり、ウテナが「王子になる」道を選ぶのに対して、沙羅は「王子をやめる」ことで本当の幸せを見つけるという逆の結論に達します。

暁生と石蕗 – クソ男対決

ここで欠かせないのが、ウテナと沙羅の物語に登場する二大クソ男、『ウテナ』の暁生と『とりかえ・ばや』の石蕗です。

「計算し尽くされた悪魔的クソ男」暁生(少女革命ウテナ)

まず暁生ですが、彼はただの悪役を超えた存在。
ウテナにとって「絶対に避けられない宿命の相手」みたいなもので、彼女の王子様幻想を利用して引き寄せ、自分に惹かれさせた上でどん底に突き落とすという、恐ろしいほど計算高いクソ男です。

暁生の真骨頂は、ただのヤンデレや浮気男ではなく、ウテナやアンシーの心の弱い部分を的確に突いて支配しようとする「悪魔的な魅力」にあります。

石蕗のような直情的な欲望ではなく、完全にスマートに相手を支配しようとする別格のクソ男ですね。

rico
rico

声も小杉十郎太さんの低音ボイス、完璧すぎて格がちがうとはこのこと

「無邪気に突き進む天然クソ男」石蕗(とりかえ・ばや)

対して石蕗は、突き抜けた「天然のクソ男」です。

彼はただただ純粋に「そのとき本気になった相手」に突き進むため、周りのことはまるで考えず、無自覚に周囲を振り回してしまうタイプ。

沙羅の秘密に気づいた瞬間も、本能で突っ走っていくし、恋愛に関しては毎回がガチで「俺、今度こそ本気!報われなきゃ死んじゃう!!」

これが案外憎めないんですよ。暁生が計算高くしてる分、逆に石蕗のクソ無邪気さが目立って、どこか愛らしい。

彼がやることは傍迷惑だけど、「またお前は本気かよ…」と呆れながらも応援したくなる不思議な魅力があるんです。

rico
rico

いや、石蕗をダークマター暁生と比べるのは…さすがにおこがましいかな!笑

隊長
隊長

むしろ石蕗は冬芽ポジション?

rico
rico

わかる!あの無駄にイケメンで本気で恋愛してるつもりで王子になりきれてない、みたいな中途半端感、まさに冬芽!!

自分らしさとジェンダーの枠を超えた生き方

『とりかえ・ばや』も『ウテナ』も、ジェンダーや社会的な役割からの解放を描いていますが、アプローチは異なります。

沙羅と睡蓮は平安時代の宮廷社会の中で、自分の生まれ持った性にそぐわない役割を強制されますが、それを超えて「本来の自分」として生きる道を見つけます。『ウテナ』もまた、王子様への憧れや社会の性役割に縛られながらも、最終的には自分の意志で「強くなる」ことを選び、アンシーを救うという道を切り開くんですね。

どちらの物語も、「自分らしく生きる」ために登場人物たちが葛藤し、成長していくのが最大の魅力です。

クソ男たちに心を乱されながらも、最終的に自分の価値観を確立する二人のヒロインは、ジェンダーの問題を超えた普遍的な「自己解放」を見せてくれるんです。

【まとめ】古典に触れたことのない人にもオススメ!

複雑に絡み合った人間関係、愛と裏切り、そして平安絵巻を思わせる美麗な作画が織りなす『とりかえ・ばや』。1000年の時を超えて、まるで現代の私たちの心にまで迫る深いテーマが描かれています。

「平安の恋愛事情も、現代とそう変わらないんだなぁ」とクスッと笑えつつ、性別や身分を超えて「自分らしく生きる」ことに挑む主人公たちの姿には、今の私たちが共感できる普遍的なテーマが込められています。

最後まで物語に引き込まれ、心が熱くなること間違いなし。『とりかえ・ばや』、ぜひ手に取って、その魅力に触れてみてください!!

弟子
弟子

まさか平安時代からこんな不倫ドラマがあったとは

rico
rico

1000年前も、今も、悩みの根っこは一緒ってことね(笑)

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